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トルコ語を勉強する

トルコ語を勉強しています。研究に専念する義務があるので、トルコ語に関する論文を読んで要旨や感想を書いてみたり、トルコ語に関する興味深い刊行物があれば紹介してみたり、単語帳作ってみたり、そういうことをします。以前はタタール語についても少し書いていました。

タタール語中級2

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コメント

1. 気づいた点をいくつか

単語
däw äti 祖父
maxsus ここの訳では「特有の」の方が合っているでしょう。
äyber こと、もの
ber-se 一人-3所
tuqta- 止まる
digän という
ütkär- 行う
tağı da より、もっと
babayはトルコ語と違って父ではなく祖父や祖先という意味。接辞が付くとyが落ちる。
誤üzleştergänen 正üzläştergänen
誤ğacäyep 正ğäcäyep

文法
●-ır/-masはタタール語学では中立形ではなく不定未来形(Bilgesez kiläçäk zaman)。
●-ırğa/-masqaはタタール語学では中立形+与格ではなく、不定形(Infinitiv)。

Re:気づいた点をいくつか

Юлдаш Хисамовさん、ありがとうございます。
コメント内容を反映して再アップしました。日本語とタタール語の両方に詳しい方からのコメント、非常に有り難い(2つの意味で!)と思います。

タタール語学では-ırğa/-masqaを不定形と言うのですね。確かに講座でも、先生が動詞を列挙する際に、belüという形とbelärgäという形を両方同じように挙げていたので、なぜなんだろうという気にはなっていました。いろいろトルコ語にひきつけて解釈すると細かい振る舞いの違いに気づかずに過ぎてしまいそうです。今後も折に触れ指摘くださると幸いです。

2. 少し調べてみました

詳細なグロスありがとうございます、とても助かります。

次の3点について少し調べてみました。典拠は全て Х.Р. Курбатов (et al.) (1971) Современный татарский литературный язык です。

(p.4 3文目) kit-ep bar-ğan について
Х.Р. Курбатов (et al.) (1971: 29) によれば бар-「行く」と -ып/п あるいは -а/и は「プロセスの完了の持続」を表すとあります。例として Ул сөйләгәннәрне язып бардым. 「わたしは彼が話したことを全て書き留めた(書き留めていた)」ここで与えられているロシア語訳では「書き留める」という動詞は不完了体を使っています。本文中の kit-ep bar-ğan は行って、その結果が持続しているということを表すんでしょうか。

(p.4 最後) başla-ğaç qına について
Х.Р. Курбатов (et al.) (1971: 179) によれば -гач/-гәч による従属文は、主文の行為が始まるところまで従属文の行為が終わっているということを表すとあります。例としては Берничә айлар үткәч, Мостафинга шулай да райкомның беренче секретаре белән сөйләшергә туры килде. 「何ヶ月か経ったのちに,ムスタフィンは地区委員会の重要な秘密を話さなければならなかった」が挙がっています。
余談ですが朝鮮語では -(아/어)야만 -(a/e)yaman 「〜てはじめてだけ」という言い方ができるんですが、これは -ğaç qına ととても似てるなと思いました。

(p.5 2文目) bel-äse-m kil-ä について
Х.Р. Курбатов (et al.) (1971: 41) によれば -сы/-се による形動詞形と動詞 кил-「来る」とで「願望」を表すとあります。例は Күрәсем бик килде аны. 「彼にとても会いたい」とあります。(p.5 1文目) の表現とどのような意味的な差異があるのか気になります。Heine & Kuteva (2002) では come が「願望」を表すように文法化した例はありませんでしたが、結構珍しい文法化の例なんでしょうか。チュルク諸語にはこのような例が他にもあるんでしょうか。

Re:少し調べてみました

修論王さん、ありがとうございます! これから反映させていきます。

1点目、
これはLandmannの文法書と言ってることが完全に食い違ってますね……そちらの説明のほうがこの場合妥当に解釈できるようです。日本語だと、学校英語の現在完了よろしく「行ってしまった」とでも訳せばよいでしょうかね。
タタール語はこのようなアスペクト的な意味を担う補助動詞を含め、複合動詞をかなり頻繁に用いるように見えるので、その辺どう書いていくかが難しいところです。

2点目、
-ğaç ğınaで「~してはじめて」と覚えるとよさそうですね。この-ğaçとğınaはどちらもトルコ語に無いので面白いです。特にğınaのふるまいは度々疑問に思うことがあるのですが、韓国語で似たような構造をとるんですねー。
……まあ、グロスをどう振るかというのは別問題ですよね。副動詞だからCVとかが一般的?

3点目、
実はトルコ語にも-esi/-asıあるいは-esice/-asıcaという動詞接辞があって、形容詞あるいは名詞のようにふるまい、話し手の希望を表します。使用が限られており、僕もふるまいはあまり分からないのですが、呪詛表現に使われることがあるようです。以下、竹内辞書から例を挙げます:
İp-e gel-esi.「縛り首になってしまえ」
İstanbul-u gör-esi-m gel-di.「イスタンブルを見たくなった」
Onu öldür-esi-ye döv-dü.「彼を死ぬほど叩いた」
2番目の例はまさにタタール語の例と同じ構造ですね。「見たくなった」と訳されており、comeは単に「ある状態になる」という意味に見えます。ちなみに次のように未来形と組み合わせることもあります:
Gid-eceğ-im gel-di.「行きたくなった」

ただいまコメントを受けつけておりません。

タタール語中級2

さて先週はトルコに旅行に行っていました。モスクを巡ったり、書店を巡ったり、先生方とお話したり。後で記事にするかもしれません。
その疲れで(!)今週行われたタタール語中級の授業に行けなかったので、くやしくて本文解説をつくりました。授業の参加者の皆さま、はたまたタタール語の諸先輩方、ご指摘等お願いします。

タタール語中級2 本文
タタール語中級2 本文v2 (3/18改訂)
タタール語中級2 本文v3 (3/22改訂)

タタール語ー日本語の対訳
グロス付本文

という構成になっています。A4用紙を横向きにして利用しています。
レイアウトについても、こういうふうにしたらいいんじゃないかとか、ここが見づらくて良くないとか、そういう意見もお待ちしています。

このファイルを作る上でタタール語講座のブログから勝手に本文をコピペしました。お許しください。
「ニューヨークのタタールモスクNew Yorkta Tatar mäçete-2」- turkbodnのblog
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コメント

1. 気づいた点をいくつか

単語
däw äti 祖父
maxsus ここの訳では「特有の」の方が合っているでしょう。
äyber こと、もの
ber-se 一人-3所
tuqta- 止まる
digän という
ütkär- 行う
tağı da より、もっと
babayはトルコ語と違って父ではなく祖父や祖先という意味。接辞が付くとyが落ちる。
誤üzleştergänen 正üzläştergänen
誤ğacäyep 正ğäcäyep

文法
●-ır/-masはタタール語学では中立形ではなく不定未来形(Bilgesez kiläçäk zaman)。
●-ırğa/-masqaはタタール語学では中立形+与格ではなく、不定形(Infinitiv)。

Re:気づいた点をいくつか

Юлдаш Хисамовさん、ありがとうございます。
コメント内容を反映して再アップしました。日本語とタタール語の両方に詳しい方からのコメント、非常に有り難い(2つの意味で!)と思います。

タタール語学では-ırğa/-masqaを不定形と言うのですね。確かに講座でも、先生が動詞を列挙する際に、belüという形とbelärgäという形を両方同じように挙げていたので、なぜなんだろうという気にはなっていました。いろいろトルコ語にひきつけて解釈すると細かい振る舞いの違いに気づかずに過ぎてしまいそうです。今後も折に触れ指摘くださると幸いです。

2. 少し調べてみました

詳細なグロスありがとうございます、とても助かります。

次の3点について少し調べてみました。典拠は全て Х.Р. Курбатов (et al.) (1971) Современный татарский литературный язык です。

(p.4 3文目) kit-ep bar-ğan について
Х.Р. Курбатов (et al.) (1971: 29) によれば бар-「行く」と -ып/п あるいは -а/и は「プロセスの完了の持続」を表すとあります。例として Ул сөйләгәннәрне язып бардым. 「わたしは彼が話したことを全て書き留めた(書き留めていた)」ここで与えられているロシア語訳では「書き留める」という動詞は不完了体を使っています。本文中の kit-ep bar-ğan は行って、その結果が持続しているということを表すんでしょうか。

(p.4 最後) başla-ğaç qına について
Х.Р. Курбатов (et al.) (1971: 179) によれば -гач/-гәч による従属文は、主文の行為が始まるところまで従属文の行為が終わっているということを表すとあります。例としては Берничә айлар үткәч, Мостафинга шулай да райкомның беренче секретаре белән сөйләшергә туры килде. 「何ヶ月か経ったのちに,ムスタフィンは地区委員会の重要な秘密を話さなければならなかった」が挙がっています。
余談ですが朝鮮語では -(아/어)야만 -(a/e)yaman 「〜てはじめてだけ」という言い方ができるんですが、これは -ğaç qına ととても似てるなと思いました。

(p.5 2文目) bel-äse-m kil-ä について
Х.Р. Курбатов (et al.) (1971: 41) によれば -сы/-се による形動詞形と動詞 кил-「来る」とで「願望」を表すとあります。例は Күрәсем бик килде аны. 「彼にとても会いたい」とあります。(p.5 1文目) の表現とどのような意味的な差異があるのか気になります。Heine & Kuteva (2002) では come が「願望」を表すように文法化した例はありませんでしたが、結構珍しい文法化の例なんでしょうか。チュルク諸語にはこのような例が他にもあるんでしょうか。

Re:少し調べてみました

修論王さん、ありがとうございます! これから反映させていきます。

1点目、
これはLandmannの文法書と言ってることが完全に食い違ってますね……そちらの説明のほうがこの場合妥当に解釈できるようです。日本語だと、学校英語の現在完了よろしく「行ってしまった」とでも訳せばよいでしょうかね。
タタール語はこのようなアスペクト的な意味を担う補助動詞を含め、複合動詞をかなり頻繁に用いるように見えるので、その辺どう書いていくかが難しいところです。

2点目、
-ğaç ğınaで「~してはじめて」と覚えるとよさそうですね。この-ğaçとğınaはどちらもトルコ語に無いので面白いです。特にğınaのふるまいは度々疑問に思うことがあるのですが、韓国語で似たような構造をとるんですねー。
……まあ、グロスをどう振るかというのは別問題ですよね。副動詞だからCVとかが一般的?

3点目、
実はトルコ語にも-esi/-asıあるいは-esice/-asıcaという動詞接辞があって、形容詞あるいは名詞のようにふるまい、話し手の希望を表します。使用が限られており、僕もふるまいはあまり分からないのですが、呪詛表現に使われることがあるようです。以下、竹内辞書から例を挙げます:
İp-e gel-esi.「縛り首になってしまえ」
İstanbul-u gör-esi-m gel-di.「イスタンブルを見たくなった」
Onu öldür-esi-ye döv-dü.「彼を死ぬほど叩いた」
2番目の例はまさにタタール語の例と同じ構造ですね。「見たくなった」と訳されており、comeは単に「ある状態になる」という意味に見えます。ちなみに次のように未来形と組み合わせることもあります:
Gid-eceğ-im gel-di.「行きたくなった」

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