トルコでは毎日物騒な事件続きで、10日も南東部のŞırnak県ではヘリコプターが落とされ軍人が1人殉死、遠隔操作型地雷で警官が4人殉死。İstanbul県のアメリカ総領事館では銃撃事件があり、これはどうやら死者は出ていないようです。夜にはさらに、Diyarbakır県で同時テロのようなものがあったようで、もう大変です。
今回はそのようなこととは全く無縁なたのしいニュースから。
Midesinden neler neler çıktı! 胃から何が出て来たのか!
Dünyanın en tehlikeli hayvanlarından köpek balıkları "denizden babam çıksa yerim" mantığıyla ne bulursa mideye indiriyor. İşte köpek balıklarının midesinden çıkan dünyanın en tuhaf "şey"ler...
世界で最も危険な動物のうちのひとつであるサメは、「海から自分の父親が出てきても食う」の論理で、なんでも胃に落としてしまう。さあ、これがサメの胃から出てきた、世界で最も奇妙な「モノ」たちだ……
リンク先は写真ニュースですから、トルコ語が分からなくても楽しめる感じはありますが、とりあえず文法的に面白そうなところを掘って行きましょう。
まず題名に見える
"neler neler"です。一回だけで良いような気もしますが、ここではneler「何(複数)」が繰り返されています。ちょっとググっただけでは(歌詞ばかり出てきて)用法が分かりませんが、何かnelerとは違うニュアンスがあるのでしょうか。それとも誤植? どう訳せばよいのでしょうか。
不定代名詞といえば、日本語でも「何々」とか「誰々」とか不定代名詞の繰り返し表現がありますね。「どこどこのだれだれから電話がかかってきた」みたいな。「何」系列と「何々」系列、意味としてはだいたい同じだけれども、使われる文脈は少しずれてますよね。「何々」系列は「主として引用文中で、本来特定の固有名が入るところをぼかして使う」表現といった感じがします。もちろん、トルコ語のneler nelerとは全然用法が違うのだと思います。
ちなみに本文に登場するne bulursaは「何でも」にあたる表現。Haspelmathのいうfree choiceですが、条件表現を使うんですね。Ne bulursa bulsunでも良いのかな。
次に
"Dünyanın en tehlikeli hayvanlarından köpek balıkları"という表現です。トルコ語の-DAnにはこのように「~のうちのひとつ」を表す機能があります。全体と部分の関係と言うか。この用法の-DAnは、日本語訳から想像する以上に使われる場面が広いので、もしトルコ語を発信する立場であれば注意する必要がありそうです。
最後に
"denizden babam çıksa yerim" mantığıyla"の部分です。全体としては複合語になっています。引用文が前部要素、mantıkが後部要素です。節が要素なのに複合「語」というのは良いのか、という感じもします。
トルコ語には「~という」と訳すべき複合語がたくさんあります。この例のように節をとるものもたくさんあるし、シンプルなものではŞ harfi「Şという文字・Şの文字」や、İstanbul şehri「イスタンブルという街・イスタンブルの街」なども同じ仲間でしょうか? 日本語の所有格「の」も大概広い用法を持っていますが、トルコ語の複合語と比較すると面白いですね。このような「同格」用法は、日本語の「の」にも確かに存在しますが、トルコ語の複合語のほうがさらに広いようです。
以上。ちなみに最近僕はトルコ語の繰り返し現象に興味を持っているので、neler nelerのような表現がどのような機能を持っているのか非常に興味があります。では。