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トルコ語を勉強する

トルコ語を勉強しています。研究に専念する義務があるので、トルコ語に関する論文を読んで要旨や感想を書いてみたり、トルコ語に関する興味深い刊行物があれば紹介してみたり、単語帳作ってみたり、そういうことをします。以前はタタール語についても少し書いていました。

2015-8-30 トルコ語例文

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2015-8-30 トルコ語例文

修士論文とかいうものの準備が進まず膠着状態です。
さて今日も、ニュース記事を眺めていて、一読してよく分からなかったリード文がありました。

Organları 5 kişiye hayat verecek
Sivas'ta geçirdiği trafik kazasının ardından beyin ölümü gerçekleşen hastanın organları, 5 kişiye "umut" oldu.
スィワスで経験した交通事故ののちに脳死が起こった患者の臓器が、5人への「希望」となった。



最初、形動詞節がどのように結びついているのかピンと来ませんでした。かなり入り組んでいますね。
最初の Sivas'ta geçirdiği trafik kazası というのは「(患者が)スィワスで経験した交通事故」というふうに、主語を先取りしているのでしょう。つまり、Hasta, Sivas'ta trafik kazasını geçirdi.「患者はスィワスで交通事故を経験した」に対応する形動詞節です。

また beyin ölümü gerçekleşen hasta は分かりにくいですが、「脳死が起こった患者」というふうに gerçekleş- の主語を beyin ölümü と考えるとうまくつながります( gerçekleş-「実現する」は適宜妥当な訳に変えています)。日本語のように「脳死する」という動詞が作れれば良いのですが、それが出来ないために 「Xが脳死した」を「Xの脳死が起こった ( X'nin beyin ölümü gerçekleşti. ) 」と形動詞節を経由して表現しているのだと思われます。

林『トルコ語文法ハンドブック』195ページには 'kızı dünya rekorunu kıran ressam'「その娘が世界記録を破った(ところの)画家」という例文が載せてあります。これは 'ressamın kızı dünya rekorunu kırdı.' という文から、所有者である ressam をとりたてて作った形動詞節と見ることができます。このようにして作った形動詞節は、その内部に動詞の主語があるにも関わらず、 -DIkではなく人称一致を起こさない -(y)An が用いられます。
ですから beyin ölümü gerçekleşen hasta は hastanın beyin ölümü gerçekleşti.「患者の脳死が起こった」に対応する形動詞節です。ただ beyin ölümü 自体が複合語で、末尾に複合語標識を伴っていますから、前から順に読んでいってもそこに3人称の所属人称接辞が付いているのか判断がつかず、このような被所有者を内包するタイプの形動詞節であることに気付きにくくなっています。

次のような文も、ニュースでよく見かけますが、構造としては似たような例ですね。
3'ü çocuk 5 ölü「3人が子供の5人が死亡」
つまり、5人のうち3人が子供 ( 5'in 3'ü çocuk ) なのです。


なお、竹内辞書には「まぬかれる」という語釈とともに 'Büyük bir kaza geçirmişsiniz.'「たいへんな事故をまぬかれたそうですね」という例文が載っていますが、本当にこのような意味になるのでしょうか。少なく ともこの記事では明らかに、脳死に至るほどの事故に遭っていますし、Turengの検索結果もそんな感じです。ざっとgoogle 検索しても特にまぬかれている例はないように見えます。Redhouseなどの辞書にはこのコロケーション自体載っていません。それはつまり、 geçir- の一般的な意味から類推できるということではないでしょうか。


余談ですが、最後の 5 kişiye umut oldu の部分は「5人へ希望となった」なのか「5人への希望となった」なのか判断が難しいところですね。私は後者をとりたいと思います。
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